Facebookにとても意味のある投稿があった。その通り🎵どの時代も、最後は哲学的思考がないと先に行けなくなる✨
皆川達夫さんの「宇宙の音楽が聴こえる」見ました。
そこで皆川さんがおっしゃったことが大変気になった。
「いかに録音技術が発達しても、ポリフォニーの音楽を復元することは不可能」
「コーラスをやっていて音程はなおせても、調和までは(人間が作っているものではないので)なおせない。」
倍音のことである。
今まさにリモート合唱をやろうとしている流れの中で、
とても考えさせられる言葉である。
それは当然わかっていても、それでもこうやって繋がって模索しながら、集まって歌える時を待とうということならばきっと合唱ができた時の感動は大きい。
でも
リモート合唱の可能性を探りながら、結構いけるね🎵楽しいわ!と そこで満足してしまうといったい合唱って何だろう?と思う。
皆川さんは中世のの音楽、グレゴリオ聖歌などを歌うなかで神の言葉を耳で聴き、音楽を通して神に祈る合唱をやってこられたが、
私たち日本人は(そういう歌も歌うが)普段の生活の中で「歌は祈りである」という認識はない。
倍音に 天上の響きへのあこがれを持たない私たちは
リモート合唱をやってみてこんな形でも大勢集まって歌えるんだ、という おうちでの達成感で終わるのでは、と心配になる。
指導者もリモート合唱では限界があり、音楽の高みに導くこともできない。
ではどうすればいいのか?
それでも いろいろやってみるしかないのかな?
そして、皆川さんがおっしゃった
「音程はなおせても、調和はなおせない。」
空間の中でこそ響く倍音の世界へのあこがれと感動を
共有したいという思いを持ち続けることなのでしょうか?