一般団体の難しさ 

一般の団体である合唱団こだま。一番熱心にコロナ禍でも活動してきた団体。昨日は一年7ヶ月ぶりに行きつけのお店オランダに向かうことができた。嬉しい一杯めの生ビール。でも、飲んでいるうちに今まで貯めてきた鬱憤が吹き出す。この1年半は合唱人にとっても本当の意味でもとに戻すのが大変だということを痛感した。自分も含めて合唱そのものの大切さや生きている意味といったものを考えさせられる。これができてこその合唱団なのだが、コロナでそこまでに至る最も大切な肝への共通理解への時間が不足しているのだ。それは誰の責任でもないのだと思う。自然の脅威に人間が歴史を創っていく上での一人一人の英知に期待したい。自分達にとってその一番尊いものが合唱なのだが。悶々と帰りの電車がつらかった。定期演奏会も近づいて焦りもあるのだろう😅前を向くことしかそれを打破することはできないのもわかっているが、苦しいところだ。朝のウォーキングで哲学するのがいいのだろう☀️散歩はコロナで失った時間を取り戻すための大事な時間かもしれない。でも、こんなに大変な一年半でも着実に前に行っていることに気がついてほしい✨