雑感

○人生の大事な何かを訴えるような合唱団を創れ💡
 中学生を教えたときのような、あの時のあの『眼』。人生の大事な何かを訴えるようなあの『眼』をもった合唱団を創りたい。それは一般でもできるはずだし、根本は同じはず。テクニックだけではない何かを訴えることは音楽の基本であり、それができる合唱団を創ることができなければ何も変わらない。感動もさせられない‼️自分は50年、何を遠回りしてきたのか🎵いいものを知っているのなら、コンクールで勝てる合唱団でなく、『感動で涙が出てくるような合唱団を創らなければ』。そういうものを今の世は歌につれ、求めているのではないか。『自分達の歌を誇りに思う』『それを訴えてくるような、ぞくぞくするようなあの感覚を表現できる合唱団を創ること』それは、テクニックを教えるということよりも、もっともっと『尊い』そして、団員の心に何よりも『宿らなければならない』『絆を訴えてくるような』『それを歌いながら確かめ合うような感じを与える』『居心地のよい自分達だけの世界にひとつしかない』合唱団でなければならない。そのための『哲学』を皆に宿らせなければならない🎵
○合唱団の根本は何か💡
 合唱を通して自分が教えたかったことは何か💡。根本の歌を皆が共有すれば『仲間』『絆』が産まれるはず。その居心地を皆が自覚しているか。『安心感』のうえに立って合唱している合唱団。それを追求する『哲学』を持て‼️💡
 それは、最初から出てくるもの。言い換えれば、部屋に入ってきたときから違う空気、歌いはじめた時から違う空気の出せる✨『自分がこの合唱団にいることの存在をお互いに確かめ合うような歌い方』の根本💡

○そのために何が必要か。それは、『音楽は心💡』自分がずっと生徒達に言い続けてきた言葉。一般でもそのベクトルを絶対に感じさせる歌でなければならないはず❗名前も、その人が何を考えて歌っているかもわからずに歌ってはならない。指導してはならない。クラス合唱がここまで盛んになった理由は『絆、心をふれあえるから』。クラス合唱=自分達の団 でなければならない。その人が何を考えて歌っているかもわからずにいてはだめ、誰よりも早くきて、誰よりも合唱団の事を考えていて、誰よりも皆の事をわかっているからこそ、『前に立てる存在』になれる。指導者になれる。尊敬もされる。今までやってきたことと同じはず❗
○一瞬一瞬の『音』にかける歌い方をさせるにはどうすればよいか?それは、皆にこの合唱団にしかない合唱の哲学を伝えていないからいけない。何よりも大切にしていない。それは、自分の人生や他の人を大切にしていない証。そんな合唱団にしてはいけない。歌うことを忘れてはいけない。どんな時も。それが心のつながりになる。『歌は心』『音楽は心』。